高山仰止的江口克彥先生,是我的日本政治啟蒙恩師,為了維護台灣的權益,也是經常與我並肩作戰的親密老戰友,江口先生本是日本經營之神松下幸之助先生的特別助理,在23年的特助生涯中,不但在 1979 年奉松下老闆之命,籌創《松下政經塾》並執掌松下財團旗下的《pHp 綜合研究所》,數十年如一日,始終兢兢業業的克盡厥職,耗資九千萬美金所創辦的《松下政經塾》,每年招生人數維持 10 名以下(錄取率不到 2.5%),學生年齡 22 到 35 歲,全員住校,為期四年,不但免費,還有薪水(第一年 17 萬日幣、第二年以上 31 萬),所學科目包羅萬象,包括政治、經濟、財政、國際関係、書道、茶道、武道、打禪、每天晨跑 3 公里,並有 100 公里急行軍等體魄及毅力的苦訓等等,這是一所孕育日本各界領袖的搖籃。
所以江口先生在日本各行各業都桃李滿天下,門生子弟遍佈全國、各居要津,2000 年由於日本政府一再阻卻卸任後的李前總統訪日,我基於義憤,以京大校友的名義,針對京大師生、校友及日本全國医師,共發出三萬多封信函,發起《贊同李前總統訪問日本及母校京大》的署名運動,當時驚動了江口社長,約我長談,上下折衝,促成了李前總統成功訪日的臨門一腳,也從此揭開了往後我們合作無間的序幕,由於江口先生的人脈橫跨朝、野各黨,貫穿日本政、經、財、文化、出版各界,所以往往一呼百應,2015 年 7 月 22 日在其幕後穿梭交涉下,成功的使李前總統登上日本國會會館 ,向 400 多位不分朝野的日本參、衆議員們作出了精闢絕倫的演說,並精心安排安倍總理與李前總統在飯店「巧遇」,這位亦師亦友的台灣誠摯友人,秉持著自由民主共同價值觀的信念,始終不遺餘力的支持台灣,著作等身,敍勳無數,每年有百場以上的演講,應接不暇,常常僕僕風塵於日本全國各地,9 月 29 日我傳送一首香港反送中運動主題曲的日文版給他,可能觸動了他悲天憫人的心弦,30 日馬上回我數則,有感而發的短文,字字珠璣、發人深省,意簡言賅的指出「天安門事件」及「香港反送中示威」本質上的差異,及香港或臺灣問題,都不能等同視之的用來與西藏或維吾爾新疆問題,相提並論等等金玉良言,獲益良多。我不敢獨專,兹澈夜將其翻譯成中文,與國人共享之。
王輝生敬上
日本恂恂長者江口克彥先生的金玉良言:
願榮光歸香港
擁有「自由和民主」共同價值觀的香港青年們,針對他們鍥而不捨的反送中示威活動,我們用歌聲來加以聲援,不是理所當然的事嗎?
我所尊敬的在日台灣人医學博士王先生傳給我香港反送中示威主題曲《願榮光歸香港》的 YouTube,相信已經有許多人也知道此一事件。
我油然生起想去學唱這首歌的衝動,這種內心澎湃的感覺已經很久不曾湧現了。歌詞中有著我塵封已久的記憶。香港青年們的淒涼悲願,更是感同身受、深深的滲透了我的心扉。或許有人會誤認香港的反送中示威,不過是「第二個天安門事件」的翻版,但,彼此根本上就迴然相異。
天安門事件是北京或地方都市的學生們在追求民主化的過程中,所衍生的事件。換句話說,那是一個完全沒有體驗過也未曾近身觀察過「自由、民主」為何物的中國青年們的示威活動。但是,香港截然不同,香港長期以來都是英國的殖民地,英國與清朝訂有租借條約,自 1898 年起,英國就有效的支配香港,到 1997 年 6 月 30 日下午 12 時為止,長達 99 年,相信很多人都還記憶猶存。因此,香港在 1839 年鴉片戰爭後,包括 1841 年以後的英領殖民地時代在內,超過一個世紀半的歲月中,與英國的「自由及民主」實際接觸過,也直接見識過。換句話說,沒有直接體驗過,也未曾見識過西歐民主主義的「天安門示威事件」與直接見識過上述經驗的「香港反送中示威」,可以說,二者有著根本上的差異。
中國北京也許對於香港的反送中示威,最後會以武力鎮壓來收場,但國際輿論,特別是歐美絕不會袖手旁觀。如果萬一,國際輿論有所錯失,既使,不加撻伐,其所埋下的火種,務必潛伏地下,對於北京的抵抗也將會綿綿不絕的層出不窮。
前門的香港、後門的台灣。香港或是台灣問題,與西藏或維吾爾新疆問題,都有著本質上的差異,不能等同視之的相提並論。2049 年是中華人民共和國建國 100 周年,中國北京的社會主義、共產主義,換言之,其念兹在兹的全體主義、一黨獨裁能否如遂所願的堅持繼續下去呢?
總之,作為擁有「自由及民主」共同價值觀的日本人,但,也是無能為力的日本人來講,真是思潮泉湧、百感交集,至少,讓這首《願榮光歸香港》的歌曲,能夠在日本國內流行,藉以聲援正在奮戰不懈的香港青年們,難道持有這種想法的人只會僅有我一人嗎?
《願榮光歸香港》
何以淚流不止
何以感到憤怒
昂首吶喊 盼自由歸於這裡
何以恐懼抹不去
何以信念從沒退後
何以血在流 但邁進聲 響透
自由 光輝
在晚星墜落 的徬徨午夜
迷霧裡最遠處吹來號角聲
捍衛自由
來齊聚這裡 來全力對抗
勇氣 㪫智 永不消失
黎明來到 要光復香港
同行兒女 為正義時代革命
祈求民主與自由 萬世都不朽
願榮光歸香港
2019年10月1日
王輝生翻譯
江口先生來函的日文原文:
香港に栄光あれ
「自由と民主」の価値観を共有する香港の若い人たちのデモを私たちは歌で、応援してもいいのではないか。
私の尊敬する台湾人の在日の王輝生先生(医学博士)から、『香港に栄光あれ』という、YouTube が送られてきた。既に、多くの皆さんも承知しているだろう。久しぶりに、この歌は、覚えて、歌いたくなった。歌詞に思いがある。なにより、香港の若い人たちの、悲壮なほどの願いが、身にしみて分かる。
香港のデモを、「第二の天安門」だという人たちもいるが、根本的に異なる。天安門デモは、北京や地方都市で学生が民主化を求め、行われたもの。いわば、実際には、一度も「自由、民主」を経験したことも、真近で見たこともない中国の若者たちのデモであった。だが、香港は違う。香港は、長い間、イギリスの植民地であり、しかも、イギリスは、清朝中国との間で、1898 年から 99 年間、租借する約束をし、実効支配した。そして、1997 年 6 月 30 日の午後 12 時を以って、その期間が切れたのを記憶している人も多いだろう。香港は、従って、1839 年の阿片戦争後、1841 年以降の英領植民地時代を含めると、実に 1 世紀半に及んで、イギリスの「自由と民主」と実際に接し、直接に見てきたことになる。
いわば、西欧の民主主義を直接、接し見ていない「天安門デモ」と、直接、見つめてきた「香港デモ」とは、根本的に異なると言える。中国北京は、香港デモを、結局は武力で鎮圧するかもしれないが、国際世論、特に欧米が、それを拱手傍観するはずがない。たとえ、国際世論が看過しても、その埋れ火は、地下に潜り、執拗に北京に抵抗し続けるだろう。
「前門の香港、後門の台湾」。香港も台湾も、チベット、ウイグルとは、次元が異なる。2049 年は、中華人民共和国建国 100 周年を迎える。果たして、中国北京は、社会主義、共産主義、すなわち、全体主義、一党独裁を堅持し続けることができるのだろうか。
ともあれ、「自由と民主」という価値観を共有する日本人として、しかし、なにも出来ない日本人として、様々な思いを込めて、『香港に栄光あれ』を、せめて、日本国内で、歌い流行らせて、香港の若い人たちを応援したいと思うのは、私だけか。
『香港に栄光あれ』
なぜ涙がとまらぬ
なぜ怒りを感じる
顔を上げ 叫びよ 届け
自由よ ここにあれ
なぜ恐れが残る
なぜ信じて進んでく
なぜ傷ついても 叫んでる
自由よ 輝け
星が落ちる夜に
霧で角笛が響く
自由を!
集まれ
立ち向かえ
勇気 叡智 消えぬ
夜明けだ
香港を取り戻せ
この時代に 正義を!
革命を
どうか 民主 自由よ
朽ちないで
香港に栄光あれ
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